ビンテージ・シンセと聞くと、プリセットされた音を出すだけのデジタル・シンセか、無数の操作肢を備えたアナログ・シンセのどちらかを思い浮かべるかもしれません。実は、それだけではありません。1991年、それぞれの機能を有機的に装備したシンセが登場します。 JD-800は紛れもなくデジタル・シンセであり、90年代の特徴であるレイヤード・サウンドもふんだんに盛り込まれています。同時に、つまみやスライダーも無数に搭載されており、外観はまさにSF映画のコントロール・ブースのようです。このアナログとデジタルを融合したシンセは、90年代にあらゆるジャンルにおいて人気を博しました。
すべてを可能にするシンセ
かつてJD-800を所有していたミュージシャンに、その活用シーンを聞いてみると、共通する回答がみられました。それは「すべて」です。今、90年代のシンセに立ち返ってみると様々な発見に行き着きます。エッジの効いたサウンドや、レイヴ・サウンド、暖かいパッド・サウンドなど、JD-800が奏でるサウンドは今も色あせません。
「イエス」のリック・ウェイクマンほどのアーティストですら、JD-800には感服させられたと言います。2020年、オンライン情報サイトの「Music Rader」の中でリックは「1990年代に入る頃には、シンセはつまらない存在になりつつあった。プリセット・サウンドが主体となっていたからね。」と当時の不満を語りました。「欲しかったのは、自らサウンドを作り込むことができるようなシンセだった」。JD-800についてはこう語ります。「JD-800は、昔のシンセを思い出させてくれる初めてのデジタル・シンセだったよ。操作するためのつまみやスライダーがふんだんに付いていた。デジタルなんだけど、アナログらしい良いサウンドが出せたんだ。」
「無数の操作肢とパラメーターによる音色エディット。最高のプロデューサーの手にかかれば、そのサウンドは更に光り輝く」
LA音源の拡張
JD-800の音源は、大ヒットとなったD-50と同じLA合成という音源技術から始まりました。複雑な倍音構成のリアルな波形とアナログ・シンセサイザーのような直感的な音作りを採用したのです。ビット数を減じた分表現の幅が広がり、他とは一線を画すシンセとなりました。この波形によって、輝きと独自性に満ちたシンセとなったのです。
JD-800の画期的な点として、D-50音源を更に強化したことがまず挙げられます。さらに、パラメーターを物理的、視覚的に調整できるようにしたことも改革でした。JD-800の設計チームの一人は、D-50チームメンバーでもあった名シンセサウンド・デザイナー、エリック・パーシングです。 その成果はぜひご自身の耳でご確認ください。
無数の操作肢とパラメーターにより、最高のプロデューサーの手にかかれば、そのサウンドは更に光り輝きます。だからこそ、深く聴き入る価値が十分にある曲が完成するのです。聴けば聴くほど、90年代への懐かしさがあふれ、当時の幻想的なレイヴ・サウンドへの愛着も思い出されます。ただ、間違いなく言えるのは、JD-800のサウンドは未来的で、時代を逆行しているという感覚にはならないということです。
PLAYLIST
「エニシング」 ア・ガイ・コールド・ジェラルド(1993年)
「これは本当に面白いシンセだよ」と話すのは、英国のプロデューサー、ア・ガイ・コールド・ジェラルド(AGCG、本名ジェラルド・ライデル・シンプソン。「808ステイト」の初期メンバーでもある)です。 「ストリングスのスペシャリストと言ってもいいくらいだ」。ジェラルドは、当時シンセを演奏して、パッド・サウンドや「ダイナミックな」ストリングス・サウンド、そして「本物以上に本物らしいシンセギター」のサウンドを堪能したときのことを語り、「エニシング」の素晴らしいストリングスはJD-800で表現していることも説明してくれました。ブレイクビーツの名曲を聴くと、他にもJDの音に気づくものがあるかもしれません。AGCGのジャングル・クロスオーバー/プロトレイブのアルバム『28ガン・バッドボーイ』では、JD-800の音源が至るところに盛り込まれています。
「ア・ガイ・コールド・ジェラルドは、JD-800を演奏して、パッドの手触りや『ダイナミックな』ストリングスの音色、そして『本物以上に本物らしいシンセギター』の音を堪能した」
「フューチャー・ダブ」 マウス・オン・マーズ(1994年)
ドイツのデュッセルドルフから、エクスペリメンタル/IDMの世界に革命を起こしたデュオのマウス・オン・マーズも、JD-800に深く傾倒しました。「フューチャー・ダブ」では、キラキラとした、風変りで未来的でもある(ゆったりとした宇宙人のラウンジのような)サウンドがJD-800からあふれ出ています。「JD-800は色々な場面で活用しているよ」とヤン・セント・ヴェルナーは明かしました。「別売りの専用波形ROMカードまでも購入したくらいだ。ミクロストリア[ミル・プラトー(音楽レーベル)によるヤンとマーカス・ポップのデュオ]でもJD-800にハマっているよ」
「JD-800は色々な場面で活用しているよ。別売りの波形ROMカードも購入したくらいだ。ミクロストリアでもJD-800にハマっているよ」 ―
―ヤン・セント・ヴェルナー(マウス・オン・マーズ)
「マグネティック・ノース」 サシャ(2002年)
「ミュージック・テック」のポッドキャストで、サシャはJD-800について「本当に何にでも使ったよ」と語りました。 「シンセの中でも、JD-800には特に心を奪われて、すっかりお気に入りだったね。アルバム『エアードローンダガー』でも使ったし、1990年代後半から2000年代前半までの曲は全部JD-800で作ったんだ」。あまりにもJDに依存し過ぎたため、「JDを使わない曲も作ろう」と、あえて決めなければならないほどでした。『エアードローンダガー』はJDとLA音源へのラブレターのようです。シンセサイザーという点で、「マグネティック・ノース」ほど贅沢な曲はありません。シンセのレイヤーのジャグジーに浸かっている気持ちになれます。
「シンセの中でも、JD-800には特に心を奪われて、すっかりお気に入りだったね。本当に何にでも使ったよ―90年代後半から2000年前半までの曲は全部JD-800で作ったんだ」
- サシャ
「ブードゥー・ピープル」 プロディジー(1994年)
なんと、ここで聴いているベース・サウンドはTB-303ではありません。ここでファットでギターのようなサウンドを出しているのは、JD-800なのです。同様の曲をもっと聴きたい人は、「ポイズン」や「ゼア・ロー」 も試してみてください。21世紀に入り、聞き慣れたTB-303とは少し違ったアシッド感が欲しい人にとってはうってつけです。さらに、JD-800にはプロディジーの濃厚なミキシングを突き抜ける力もありました。これは、力強さには定評のあったTB-303を凌ぐパワーを聴かせてくれます。
「世界中の人が愛し合えば 」(キング・ブリット(スクーバミックス) スタイロフォニック(2002年)
「スクーバとしての作品は全部JD-800で作っている。ここ10年間、一番のお気に入りのキーボードだ。サウンド作りはいつもこいつが助けてくれる」と話すのは、フィラデルフィアが誇るキング・ブリットです。キングがスクーバとして出す曲は、どれも聴く値打ちがあります。低音のグルーヴに載せる鋭いスタブ・ヒット・サウンドから、みずみずしいパッド・サウンドまで、すべてJD-800が紡ぎ出しているのです。それが一番感じられるのが、スタイロフォニックが2002年に発売したこのシングルでしょう。時代を超えて私たちを魅了してくれる曲です。
「スクーバとしての作品は全部JD-800で作っている。ここ10年間、一番のお気に入りのキーボードだ。サウンド作りはいつもこいつが助けてくれる」
―キング・ブリット
「リーフ」(キング・ブリット(スクーバ・アンビエントミックス))シャネット・リンドストレム(2007年)
前曲とは対照的に、この曲のJD-800はスウェーデン歌手のシャネット・リンドストレムによる美しいジャズとキング・ブリットとのリミックスで効果を上げています。この曲では、JD-800によって脈動と、シンセのテクスチャーが織り込まれています。括弧内のサブタイトルの「スクーバ・アンビエント」が水中を感じさせるように、深く暗い水底へと進んでいくかのように感じられる曲です。
『レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』 プリンス(1999年)
「レイヴ」という言葉を聞けば、どうしてもJD-800と1990年代を思い浮かべずにはいられません。それでも、プリンスの奏でたレイヴは、それまでのものとはまったく異なるサウンドでした。音楽制作に一切妥協しないプリンスには、JD-800がぴったりだったのでしょう。所有していたD-50からJD-800への乗り換えは何も難しくありませんでした。このアルバムでは、リードやブラス、変わった装飾音が駆使されています。まずはタイトル曲から聴いてみるのがいいでしょう。
「リキッド・メン・ウィズ・リキッド・ハート」 エアー・リキッド(1992年)
ドイツのケルンで結成されたエアー・リキッドは、ジェム・オーラル(ジャミン・ユニット)とイングマール・コッホ(ドクター・ウォーカー)によるデュオです。2人が取り組み続けた難題は、アシッドとテクノの極致に達することでした。曲全体に流れているのはTB-303によるベースですが、パッド・サウンドとスペース・サウンドはすべてJD-800によるものです。TBに重なる幻想的なパッド・サウンドと言えば、この「リキッド・メン・ウィズ・リキッド・ハート」が好例です。
「アスペクツの『マイ・ジャンル』では、JD-800をボコーダーの入力機器として利用し、その音をチープなエフェクターにつなげることで、荒削りのロボット的なリフレインを生み出しています。」
「マイ・ジャンル」 アスペクツ(2001年)
最後は、英国ブリストルから生まれた名曲です。「マイ・ジャンル」では、JD-800をボコーダーの入力機器として利用し、その音をチープなエフェクターにつなげることで、荒削りのロボット的なリフレインを生み出しています。解散後も強い影響力を持ち、ダフト・パンクもこの曲の大胆さと人工的な雰囲気に感銘を受けたということです。VHSを中心に据えたジャケットに見て取れるように、この大胆不敵な名曲はクラバー・ラングから『スター・ファイター』まであらゆる存在に触れています。