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Patrice Rushen: Always in the Moment

世界的なソングライター兼キーボーディストであるPatrice Rushenが、その音楽キャリアの始まりから功績、そして生徒たちに伝えたいことについて語ります。 すべての写真は明記されていない限りOscar Genelによるものです。

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時折、単純に分類できないやり方でキャリアを築き上げていくアーティストが現れます。Patrice Rushenはそのようなミュージシャンの一人でしょう。有名なソングライター兼キーボーディストであるRushenは、Herbie Hancock、Boyz II Men、 George Benson、 Tom Jones、Nancy Wilson、 Michael Jackson、Sheena Eastonなどのアーティストとコラボレーションをしてきました。多くの功績の中で、Rushenはグラミー賞の音楽監督を務めた最初の女性であり、Janet Jackson「janet.」のアルバムツアーの音楽監督でもあります。

1982年にグラミー賞にノミネートされた曲「Forget Me Nots」は、Will Smithが「Men in Black」でサンプリングしたことでも知られています。学界では「音楽と文化への卓越した貢献」によりバークリー音楽大学から名誉音楽博士号を授与され、現在は南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校で教鞭を執り、次世代のクリエイターを指導しています。その彼女が、自身の音楽人生の始まり、功績、そして生徒に伝えたいことについて語ります。

Patrice Rushen
Photo courtesy of the artist
広がるレパートリー

Rushenは5歳でピアノを始め、当初はクラシックのレパートリーばかり弾いていました。「でも、家では何でも聴いていました。」彼女は語ります。「教会で演奏するのが好きで、ラジオやテレビで演奏したいと思っていました。あの素晴らしいショーのすべての曲を演奏したいと思っていたのです。」

新しいサウンドを渇望して、彼女は徐々に手を広げていきます。「私は曲を選び、自分のレッスンに持っていきました。時々、モーツァルトやハイドンの代わりに、先生がJames BrownやBeatlesを弾かせてくれました。」

これら初期の音楽経験のほとんどは、ピアノを中心としていました。しかし若きRushenは、当時業界で使われていた機材のチェックも欠かすことはありませんでした。「キーボードを導入するまでには長い時間がかかりました。当時もシンセサイザーはありましたが、まだ巨大で高価でした。高校でようやくRhodesを手に入れました。」

「時々、モーツァルトやハイドンの代わりに、先生がJames BrownやBeatlesを弾かせてくれたのです。」

影響を受けたアーティスト

あらゆるジャンルにおいて、若いアーティストに影響を与える偉大なる先達。彼らには共通項があります。「私のヒーローたちは実に多彩でした。」とRushenは言います。「10代の頃は、Stevie Wonder、Sly Stone、Miles Davisでした。そして、両親はElla FitzgeraldとCannonball Adderleyを聴いていました。」

彼女を高めてくれたプレーヤーたちのいくつかの特徴について語ってくれました。「彼らはコンポーザーであり、ソングライターであり、ある種の熟練と卓越性を兼ね備えた人達でした。」それでも、Rushenは本質的な部分では情熱を求めていました。「何よりも、音楽の中にあるフィーリングが大事だったのです。キーボードは手段ですが、このフィーリングは人とのつながりに欠かせないものです。」  

すぐに、Rushenはロサンゼルス地域全体でライブを行うようになります。「初めてのライブは、本当に感動しました。」と彼女は語ります。「私のバンドはRed Beans and Riceという名前で、ダンスやパーティーで演奏しました。Abbey Lincolnのような大物たちが私を演奏に呼んでくれるようになり、彼女は私にMaya Angelouを紹介してくれました。」

「私のバンドはRed Beans and Riceという名前で、ダンスやパーティーで演奏しました。Abbey Lincolnのような大物たちが私を演奏に呼んでくれるようになり、彼女は私にMaya Angelouを紹介してくれました。」

扉が開く  

新規のライブ演奏の機会が急増し始めたころから、Rushenの目標は変化していきます。「時間が経つにつれて、もっとスタジオワークをしたいと思うようになりました。Jean-Luc Pontyとセッションをした後から、私がセッションの仕事をしていることが広く知られるようになっていきました。そのおかげで、特に映画やテレビの分野で、私がやりたかったことへの扉が開けたのです。」

当時まだ大学生で、広範囲にツアーをすることができなかったRushenにとって、映画は非常に魅力的でした。「特に映画音楽の作曲家になりたかったのです。さまざまなスタイルのオーケストラやバンドにかかわることが、作曲家として必要なものを得るための鍵でした。」 

ステージ・ライフ

しかしRushenのソロやセッションの成功をきっかけに、新しい道が待っていました。「初めて行った大きなツアーは、Carlos Santana、Wayne Shorterと一緒で、これは私にとって初めてのヨーロッパでもありました。」2人のレジェンドと一緒に旅をした経験は、その後のRushenを形づくるものとなりました。「2人は私のヒーローでした。だから彼らと一緒にツアーに出られたことは、とてもスリリングで目を見張るものでした。」

長年にわたり、彼女はあらゆる規模の会場で演奏してきましたが、Rushenはそれぞれに独自の魅力があると言います。「The Hollywood Bowlは、もちろん私のお気に入りです。でも、100人くらいの小さなクラブだと、本当に観客との一体感が生まれるの。私が演奏をすることで、観客はお返しに何かを与えてくれるのです。」

「The Hollywood Bowlは、もちろん私のお気に入りです。でも、100人くらいの小さなクラブだと、本当に観客との一体感が生まれるの。」

Solo From the Heart  

ポップスやジャズの一流のミュージシャンたちの音楽監督やキーボーディストを務めるかたわら、Rushenはソロ活動でのキャリアも急成長させていきます。70年代後半から80年代にかけて、彼女は『Pizzazz』、『Posh』、そして1982年の画期的なアルバム『Straight from the Heart』といった評価の高いアルバムをリリースし、不朽の名作「Forget me Nots」を生み出します。この曲は、映画 「Men in Black 」の壮大なテーマ曲のベースとなり、今も人々の記憶に刻まれています。 

彼女は、自分のソロ作品が受け入れられたことに、とても感謝しています。彼女が成功したと感じた特別な瞬間、周りを見回して、「ワオ!これはかなりすごいことじゃない?!」と思った瞬間がある、とRushenは言います。「私のバンドで、私の名前でコンサートをやって、6歳から76歳の人たちが同じ歌を歌っていたのを見た時。それは凄まじい光景でした。」 

教えることは手を差し伸べること  

Rushenは、教育者としての厳しい仕事と並行して、ツアーやレコーディングのスケジュールを積極的にこなすというユニークなスタイルで仕事をしています。「私は音楽教育の世界にのめり込んでいきました。全体像を把握し、人々と協力し、人々に物事を示し、知識を得る方法を学ぶには、音楽教育が最適だとわかったからです。」 

彼女の教育理念は率直でありながら奥深いものです。「ゴールに到達するための方法をいくつか提示し、それを噛み砕いて導いていくのです。」と彼女は言います。「それが私の役に立つし、私の教え方の一部なのです」。 

「私は音楽教育の世界にのめり込んでいきました。全体像を把握し、人々と協力し、人々に物事を示し、知識を受け取る方法を学ぶには、音楽教育が最適だとわかったのです」。

即時性

ローランドの機材は彼女が指導者としての役割を果たす上で、無くてはならないものとなっています。「ポピュラー音楽専攻の学生のための楽器を選ぶ必要がありました。学生の多くはキーボード奏者ではなくソングライターやベーシストですが、授業ではキーボードを演奏する必要があるのです。」

RushenはRolandの楽器に対する美学と歴史に惹かれたと言います。「Rolandの楽器は視覚的に最も理にかなっているように思えました。楽器の背後にある哲学について理解し始めると、この楽器を使うべきだと感じました。ここまでの道のりは本当に素晴らしいものでした。」

そしてV-STAGEとの時間を過ごすことになったRushenは次のように語ります。
「V-STAGEには即戦力という非常に大きなアイデンティティがあります。そして、ちょっとした冒険的な音作りもできます。」

Patrice Rushen

「楽器の背後にある哲学について理解し始めると、この楽器を使うべきだと感じました。ここまでの道のりは本当に素晴らしいものでした。」

Patrice Rushen
Patrice Rushen
謙虚な先駆者

Rushenは、一緒に働く人たちについても高い意識を持っています。「何かを本当にうまくやる人のほとんどは、それをやる仲間と一緒に過ごすことを楽しんでいます。」と彼女は語ります。「うまくいかないこともあるし、失敗することもある。でも、その失敗が糧となり、次につながっていくのです。」 

彼女は自身が直面した困難なことについてもポジティブに分析します。「私がナビゲートする方法を見つけられたのは、起こっていることは個人的なことではなく、大抵自分ではどうすることもできないことに基づいているのだと気づくことができたからです。」  

Rushenは、対立することや衝突することも解決に導くための新たな可能性につながると強調しています。「私は弱音を吐くことも許します。ともに考えることで、より良い考えが出せると思っているから。」   

これだけのことを成し遂げているRushenが、先駆的なアーティストであることに疑う余地はありません。しかし、彼女は自分自身が音楽業界における先駆者だと思うか?という問いについてはこのように答えています。
「他の人たちもそうだと思いますが、私は私の仕事をするだけです。」

Ari Rosenschein

Ari is Sr. Manager, Brand Storytelling Copy and Editorial for Roland. He lives in Seattle with his wife and dogs and enjoys the woods, rain, and coffee of his region.