Roland & ME
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Roland & ME

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50年のローランドと音楽にまつわるストーリー~あなたの物語を聞かせてください~

1972年の創業以来、RolandとBOSS製品は、数えきれないほどのミュージシャンの思いを形にするため、選ばれ愛されてきました。
50年に渡り発売された数千もの製品とともに、使う人それぞれの物語があります。
ここでは、寄せられた多くの投稿の中からいくつかをご紹介します。

*ご投稿いただきました作品は、掲載にあたり一部編集を加えています。
*投稿の募集は終了いたしました。たくさんのご投稿、ありがとうございました。

Paul Yates: 長距離コラボレーション

私はかれこれ18年間、Rolandのドラムを演奏しています。電子キットやパッドも数多く所有してきました。最初の1台はTD-6。その後何年もかけて、TD-8、TD-12、TD-20、TD-30、SPD-20、SPD-SXなどのさまざまなモデルを演奏してきました。現在はパーカッションにHPD-20を、ドラムにはサウンドライブラリーがアップデートされたTD-50を使っています。さらに、アコースティック用のトリガーとしてRT-30KとRT-30HRを使用しています。  

Rolandに関する私の話が、他の人たちの音楽制作への考え方を変えるきっかけになれば嬉しいです。始まりは2020年4月、コロナが感染拡大し始めたばかりの頃でした。  

ソーシャルメディアを通じて、志を同じくするまったく面識のない人たちが集まりました。その目的は、「国民保健サービス」の活動を支援するための資金集めソングを作ること。曲づくりは、各アーティストが次々に前の人のアイデアに自分のアイデアを足していく形で進められました。ドラムパートの録音は最初に終わったため、私はアレンジも手掛けました。そして完成したのが、Save our Heroes』です。

ドラムはすべてTD-30で録りました。最後にHPD-20のパーカッションパートを加えましたが、Rolandのモジュールの録音・エクスポート機能がなければ、こんなやり方は不可能でした。ドラムパートを別のステムとしてエクスポートできるので、多くの声を別々に録音するという技が可能になりました。リモートでもコラボレーションできたのは、ローランドの技術のおかげです。  

その結果、見事な化学反応が生まれました。まるで、全員が長年の知り合いかのようなサウンドが完成したのです。これがきっかけで、オンラインで活動するバンドを立ち上げ、LeAnne Burke Bandと名付けました。ドラムとパーカッション担当が私、ベースがAshley Dean、キーボード、オルガン、ブラスがIan Jones。そして、作詞と歌を担当するのがLeAnne Burkeです。  

さらに、LeAnneと私はBurke & Yatesというデュオを結成しました。先日リリースした『Two Sides』では、TD-50とアップグレードされたRoland Cloudのサウンドセットをメインに使っています。この曲は、BBCをはじめ地元のメディアでかなり取り上げてもらいました。

メンバーと直接顔を合わせたことはあるのかですって?実はまだ1度もありませんが、近いうちに実現すればいいなと思っています。 

Alrick Huebener : コロナ禍での私のスタジオ

私は長年RolandとBOSSの機材を愛用してきましたが、コロナ禍の中、これらの大切さを今まで以上に実感しています。特にRubix24は、iPadのマルチトラックアプリで録音する時には不可欠で、私の音楽制作の要となっています。

また、ギターとベースを弾くときにはBOSSのペダルは必須。GT-1000COREと旧型のSY-300ギター・シンセサイザーを使っています。クラシックなアンプ・サウンドを作り出すことができ、リバーブやディレイも得意です。トーンやエフェクトを駆使すると、実際に高性能のアンプを通して演奏している感覚が得られます。あるときは小さなクラブで、あるときは広大なスタジアムで、時には惑星へ航行中の宇宙空間で弾いているような気分にもなれます。

リードギターの即興演奏をサポートするバックグラウンドトラックや、コードストラクチャーを作るときによく使うのは、RC-500ルーパーです。これらの機材から生まれた音楽は、映像のオーディオトラックや、私がコラボする詩人のスポークン・ワード系ボーカルの音楽トラックとして使われます。詩的な文脈に音楽が加わることで、歌詞を生かし、言葉を超えた感情を引き出すのです。

RolandとBOSSの機材があれば、クラシックギターやベースの音色から、想像力をかきたてる幽玄な風景の音色まで、さまざまなサウンドを自在に作ることができます。
ライブ演奏の機会の大半が失われてしまったコロナ禍でも、このミニスタジオがあったからこそ、私は音楽を作り続け、クリエイティブな友人たちとの交流を続けられています。

Mark Warr : 思い描いたサウンドの実現

アルバム『Pictures on Water』は、全曲を拡張ボード付きのJUNO-Gで作曲し録音しています。音質があまりに良かったので、マスタリングエンジニアのNick Landisにデジタルのオーディオファイルをそのまま送ることができました。  

他の2枚のアルバム『One Glance』と『Restructure』では、XV-5050とJV-1010を使用しています。後者は初期のロンプラーですが、今なおこのサウンドが好きです。XV-5050にはS/PDIF出力がついているので、指先で世界観を表現できます。これに勝るものはありません。Rolandの機材がなければ、思い描いたサウンドをそのまま音にすることはできなかったでしょう。心から感謝します。

Tony Drake: ケープタウンでのクリエイティブな日々

私とRolandの長い付き合いが始まったのは1980年でした。自宅にあったオルガンを、RolandのSH-2とRS-09、そして由緒あるBOSSの CE-2と交換したときからです。  

その後、すぐにJUPITER-4を試しました。1983年の時点ではJUPITER-8を買う資金がなく、私はJUNO-60を選びました。JUNOシリーズが初めて南アフリカに出荷されたときのことで、実物を見ずに買いました。もちろん後悔などありません。JUNO-60は4年ほど愛用し、その後、Super JX-10に買い換えました。1991年に購入したJD-800は、31年経った今でも私のスタジオで中心的役割を担う機材です。   

2008年、JD-800の音が固まるようになったため、南アフリカのRoland代理店に連絡しました。修理に出してシリアルナンバーを伝えると、なんと購入から17年経っていたにもかかわらず、キーベッド全体を無償で交換してくれたのです。これこそ真のサービスではありませんか。  

現在、スタジオでのレコーディングや制作にはJD-800とJV-1080を、ステージではJUNO-DiとVR-09 V-Comboも使っています。さらに、Super JX-10とPG-800も贈り物としていただきました。コンテンツ制作の際は、GAIA SH-01やS-760も併用して色々と実験することを楽しんでいます。  

Rolandのシンセサイザーと過ごした42年の歳月は、創造的な喜びの連続でした。JUPITER-Xや最新のJUNO-Xも機会があればぜひ試してみたいと思っています。それまでは、今のJD-800がよい仕事をしてくれるでしょう。

Paolo aka Zoltar: 魔法のマシンたち

私の名前はPaoloです。Zoltarと呼んでください。現在50歳で、Rolandのシンセサイザーの愛好者です。私が初めて手にしたRolandのキーボードは中古のD-10です。1991年に火が着いた私の情熱は今もなお燃え続けています。その後Rolandの機材は数十台にまで増えました。D-50、Eシリーズのほぼすべてのキーボード、素晴らしいJUPITER-80、そしてDJ-70など、どれも他にはない魔法のような楽器ばかりです!そして、私が一番最近買ったシンセサイザーはJUPITER-X、これは信じられないほどの名機です。


私のRoland歴は12年以上になります。E-シリーズを使って、ピアノバーで演奏してきました。ファースト・アルバム『Electro Dei』が完成したのもRolandのおかげです。このアルバムでは、祖母からもらった古いけれどもよい音を出すDJ-70を使いました。祖母を偲んで演奏しています。DJ-70はキーボードだけでなく、サンプリング機能もまだ十分に使えます。

今年から新しいプロジェクトCisum Ruoy Productionがスタートしました。ファーストシングル『DiscoKristo』がすでにリリースされていますが、この曲はJUPITER-X、JUPITER-80、D-50、そしてDJ-70などRoland製品を主軸に制作しました。

明日はどんな魔法が起きるのでしょうか。

Adrianna Krikl: 私のシンセ

1980年代、若かりし頃の私はJUNO-106を持っていましたが、手放してしまったことを後悔していました。

そんな中、最近RolandがJU-06Aを発売したことを知りました。これはまさに、青春時代に愛用していたあのJUNO-106の小型版レプリカです。モジュールはキーボードに接続できますが、私はアルペジオ機能の付いたコードボタンと、最新式ペダルを使っています。これがとてもクールなんです。当時こんなペダルがあったらどんなに嬉しかったことでしょう。Rolandは私のインスピレーションが湧き出る源泉であり、それは数十年経った今でも変わりません。

Nick Standing: クラブへようこそ

29歳の誕生日に双子の兄からもらったプレゼントのことは一生忘れません。思ってもみない素敵なプレゼントでした。
10代の頃から、私はRolandの機材の虜でした。カラフルなBOSSのストンプボックスで小さなライブをしたり、ブライトンのクラブで夢中になってJUNO-6でジャムセッションをしたり。今にして思えば、私は仲間と財布の中身をすべて出し合ってでもJUNO-6を手に入れるべきだったと思っています。
 

音楽の世界での私は、アンビエント・プロジェクトのJabunと、ハイエナジーなスカパンクバンドのBetter Than The Bookの2つの顔を持っています。どちらもBOSSのペダル、808の重低音、JUNOのパッドなど、Rolandのシンセ音の魅力が詰まった曲を出しています。 

Better Than The Bookのセカンドアルバム『Hopes and Dreams』は、ローランドの販売員をしていた兄がクリスマスに買ってくれたTR-08をフィーチャーして作った初めての作品です。

29歳の誕生日の出来事です。キッチンに座っていた兄から、「ワレモノ」と書かれた茶封筒を手渡されました。戸惑いながらも、その小さな封筒を開けてみると、「クラブへようこそ」と短いメッセージが書かれていました。兄は父に目配せすると、今度は厚さ数インチもある赤いフライトケースを取り出しました。大きさはメモ用紙より少し大きい程度でしょうか。「これは一体何だろう」そう思った私に、兄は開けて中を見てごらんと言いました。
 

するとケースの中には、若干年季が入りながらも状態のいいTR-505 Rhythm Composerが入っているではありませんか!私が今まで浴びるように聴いてきたシンセウェーブの音と、あの大好きなRolandの正統派デジタルドラム音が、まさに目の前にあるのです。私は驚いてアドレナリンが出まくり、兄の気持ちが嬉しくて大興奮でした。生まれる前に製造された機材を手に入れるのは初めて。「クラブへようこそ」の「クラブ」とは、ヴィンテージ・シンセ・クラブのことだったのです。 

ジャムしたり、作曲したり、作品にサウンドや質感を重ねたりするのに、このプレゼントは実に見事な役割を果たしてくれました。Jabunではすでに505の音が満載のデモを山ほど制作しています。プレゼントしてくれた兄と、私の音楽に常にインスピレーションを与えてくれるローランドに感謝します。 

Patrick De Rycke: いつだってRoland

1990年代の初頭のことでした。とある楽器店に入るとE-30が目に留まりました。試しに弾いてみると、その澄んだサウンドと無限の可能性に感動しました。オルガンを持ち運ぶのは大変なのでE-30の軽量な点もありがたいと思いました。これをきっかけに私は他社ブランドからRolandに乗り換えました。その1台目となったのがE-70です。

この1台で、まったく新しい音楽の世界が開かれたように感じました。それ以来、ローランドの楽器しか弾いていません。E-70、JX-1とD-50、G-800、RA-95、そしてVA-7を所有しました。 

今でもJUNO-D、E-A7、TD-9KX2、RH-300Vは手元にあります。もうすぐJUNO-Dを最新のFANTOM-6に買い換える予定です。 

コロナ禍前は、私はドラマーとして仲間のミュージシャンと何度か小さなライブをしていました。現在ライブは行っていないのですが、自宅のスタジオでDAWを使ってさまざまな曲を組み合わせることに熱中しています。もちろん、それに最適な楽器はローランドです。  

これだけは言えます。私はこれからもずっとRolandの楽器を使い続けることでしょう。

Kazuhiko Tanaka: ローランドと私の50年

小学生の時にアマチュア無線を始め、高校生の時にはデジタル機器の制作をしていました。その頃に友人がモジュラーシンセサイザーを自作したのを見て、電子楽器に興味を持つようになりました。
大学への受験勉強をしていた頃、地元静岡の楽器店「すみや」で、初めてSYSTEM700に出会いました。そこから私のシンセサイザーキャリアが始まりました。

大学ではマイコンクラブを創部、マイコンやDAC/GATEユニット、ネットワーク、自動演奏プログラムを自作する日々を送りました。大学祭では、ローランドからSYSTEM700を借りて、YMO、ポールモーリア、オリジナル曲をステージで演奏しました。その時、炎天下で演奏したためチューニングが狂って困ったのもいい想い出です。

ある日、大阪のローランドのショールームでSYSTEM700とMC-8をいじっていたところ、作曲が趣味というオーストリア駐日領事がやってきました。彼は近々引退し、帰国する予定とのこと。そして私のデモを見て「これはオーケストラを雇うより安い。退職金で購入する」と感激して帰国していきました。また、夏休みにはローランドのコンテストに「ワン・ノート・サンバ」で応募し入賞。アルバイト先のコンピューターアカデミーにもSYSTEM700とMC-8を紹介し導入されたことなど、たくさんのエピソードがあります。

就職してからは、SC-88VL、MCR-8、JP-8080、XV-5050、UA-55、R-1、CS-10EM、JP-8080、XV-5050を購入しました。現在は「武蔵野メディア研究所」を主宰。ネットワークと様々な機器を使ってデジタルコンテンツの制作・編集や、利用方法を試行する活動をしています。今後はDTMに関するコンテンツも公開していく予定です。

ローランドが創業50周年と聞いて、考えてみれば私もローランドの商品を50年ほど使ってきたんだなぁと、感慨深い思いでいっぱいです。

Attila: FRAGILEの誕生秘話

私とRolandの物語は1990年頃に始まります。19歳のとき幸運にもD-110を手に入れることができ、とても愛用していました。ところがある日、ディプロマシーショップ(当時ハンガリーには普通の楽器店はありませんでした)に行くと、「Sax & Trombone」や「Electric Guitar」といったU-20の音源拡張カードが何枚かありました。”

その頃の私は、ちょうどジャズギターとメロウなサックスの音をベースにした曲を作成中だったので、店にあるカードが欲しくてたまらず、有り金をはたいて買いました。そしてせっかく手に入れたカードが使えるU-20を買えないだろうかと思いを巡らせるようになりました。

でも母子家庭の子どもとしてそのような余裕はなかったので、U-20を買うため、夏の間アイスクリームやビールを売って稼ぎました。

そうして私は、ようやく念願のU-20を手に入れました。売り主はよく旅をする人で、そのU-20は、側面に大きく「Fragile(ワレモノ)」とステッカーが貼られた立派なハードケースに入っていました。

ある日、バラトン湖でのビーチコンサートの後、女の子がやってきて、「バンド名は何というのですか?」と聞いてきました。

私は、「まだ名前はないんだ。これから決めるところだよ」と答えました。

すると女の子は、「そうなんですか、FRAGILEかと思いました…」と言ったのです。  

「そうそう!これがバンド名なんだよ!」私はすかさずそう言いました。  

これがバンドの名前が決まった瞬間です。 

その数か月後、私はFRAGILEを脱退し、ハンガリー屈指の有名音楽グループ”R-GO”にキーボード奏者として加入しました。ローランド・ハンガリーがスポンサーになってくれたので、D-70とJD-800を手に入れることができました。 

それから数年が経ち、私は映画のサウンドエンジニアになりました。今はJUNO-STAGEを使っていますが、JUPITER-XかJUNO-Xを買おうと思い始めています。どうなるかわかりませんが、「Fragile」と大きなステッカーが貼られたハードケースだけは絶対に必要です。 

Paul Harlyn: ビッグ・シンセ・サウンド

1982年、私が所属していたバンドは、NYのメジャーレーベルの前で曲を披露する日を夢見て、日々演奏していました。バンドのオリジナル楽曲はシンセサイザーを多用していたので、当時最もパワフルなシンセサイザーを購入するのが私の目標でした。
ある日、ニューヨークの48番街にあるManny’s MusicにJUPITER-8がありました。JUPITER-8にはパワフルなユニゾンモードがあり、大型ギターやドラムを使う私たちのバンドにはうってつけ。私はJUPITER-8を手に、幸せな気持ちで家路につきました。

1984年、Rolandの販売員に誘われて、カリフォルニア州アナハイムで開催されたWinter NAMMショーに参加しました。このとき初めてMIDIという新たなプロトコルで複数のシンセサイザーがつながったのです。 

数か月後、私は自慢のJP-8(シリアルナンバー192077)をソーホーのDr. Soundに持ち込み、内部に5ピンのMIDIコネクターとそれに対応するドーターボードを取り付けてもらいました。これで私のシンセサイザーは、左側のコントローラーで素晴らしい表現力を発揮し、右側では当時の最新MIDIシーケンサーによるMIDIコントロールが可能になりました。2つの世界を両立できるようになったのです。 

あれから40年。今でも私の大切なJP-8はスタジオにあり、ここで制作するほとんどすべての曲で活躍しています。もはや大きなユニゾンサウンドを求めているのではありません。より繊細なフィルタダウン発振器が、ミックスの他の要素を隠すことなくトラックのサウンドを豊かにしてくれます。 

非常にパワフルなJP-8ですが、生産台数はわずか数千台。非常によくできており、あと40年は使えるでしょう。私は、選ばれたシンセマニアだけが入れるクラブの一員になった気がします。 

80年代初頭のローランドが、シンセサイザーのデザイナーたちに、壮大な夢と無限に創造できる機会を与えてくれたことに心から喝采を送ります。  

Dave: 『Get Calibrated』

14歳のときから「自分のアルバムをレコーディングしたい」と夢見ていました。大学を卒業し、就職してから少しずつ機器を揃えていきました。リズム・セクションが必要だった私は、R-70を手に入れ、最初は手入力で、次にMIDIでシーケンスの方法を学びました。1992年当時、本物のドラムサウンドは珍しく、このキットがなければ実現するのは難しいことでした。

このときテープに録音しましたが、ベースの音をシーケンスする必要がありました。R-70でもできますが、コンピューターなしでは使いこなせそうにありません(当時はまだパソコンが高嶺の花の時代でした)。そこで、あるシンセサイザーを購入したのですが、60Hzのハムノイズが発生するのです。手持ちのR-70ではそんなことはなかったので返品し、別のものを買いました。しかし状況は変わりません。3回目、店に戻った際に私は別のブランドのものに交換してほしいと伝えました。ちょっとした言い争いの末、そのシンセサイザーを店のコンセントに差して確認することになりました。小さな音量ではハムノイズは発生しません。そこで私は、店員に出力を70%(録音レベル)に上げるように言いました。すると店全体が振動するではないですか。そのシンセサイザーにはキャリブレーション(調整)が必要だったのです。

店員は、あと80ドル出せばJV-880を譲ると提案してくれました。そして、ついにR-70とJV-880、そしてその後ピカピカのPentium PCが手に入り、夢を叶える準備が整いました。驚いたことに各パッチがとてもリアルで、特にベースが素晴らしいのです。結局、スクラッチ・レコーディングをミックスした曲で、ファースト・アルバムが完成しました。その名もずばり『Get Calibrated』です。

それ以来、R-70とJV-880以外には何も必要なくなりました(数台のコンピューターと数え切れないほどのシーケンサー、そしてもちろんギターとアンプは別ですが)。どちらもまだ現役で毎週使っています。映画のプロジェクトやインストゥルメンタルなど、何でもこなします。本当に使える機材です。

プラグインもいいですが、スタジオで30年も使えるハードウェアはなかなかありません。JVとR-70は作りたい音楽の制作に必要不可欠な機器でありながら、新しいソフトウェアを使えば今までにないプロジェクトを作れる柔軟性もあります。この2台は長年大切に乗り続けてきた愛車のように、きちんと動き、実によい仕事をするのです。

Phil Young aka Redacted: 夢を追い求めて

80年代の初め、7歳だった私は、当時全盛だったニュー・ロマンティック・バンドの音楽が大好きでした。巨大なシンセサイザーを何台も扱う彼らの姿をテレビで見て、「僕もやってみたい」と思ったのを覚えています。数年経って、子供の頃憧れていた音楽を支えていたシンセサイザーがJUPITERとJUNOだったとわかりました。    

それから10年の月日が流れ、音楽とシンセサイザーに対する私の興味は強まるばかりでした。当時はレイブやアシッドハウスの黄金時代。ダンスミュージックにとって、最高の時代でした。フーバーの刺すような音、あの奇妙なバブルのような音やスケルチ音、ヒプノサウンド、ブクブクした音、強烈なキックドラムなど、私が愛するサウンドはすべてローランドの機材から生まれていたことを改めて知りました。そして、「やってみたい」という気持ちも変わりませんでした。   

仕事や家庭など日々の生活が優先で、夢の実現は遠回りしましたが、幸運なことに、若い時分に惚れ込んだ機材をいくつか所有することができました。亡くなった妻は、結婚指輪の代わりに初代TB-303を買ってくれたのです。私にとって、それがどれ程の価値があるかをわかっている素晴らしい女性でした。

私は80年代、90年代に発売されたRoland製シンセサイザーのほとんどを所有し、満喫し、そして売却しました。中には、数年後に再び購入したものもあります(今、目の前にあるD-50がそうです)。私の場合、機材は所有していても、家で演奏するだけで、それ以上のものではありませんでした。ですが、本心ではライブで演奏したかったのです。私にはその実力があることはわかっていたのですが、あてはまる機材がなかったのです。

それをまたしてもRolandが叶えてくれました。しかも、この上ないタイミングで実現しました。MC-707を発売と同時に購入しましたが、正直言って、これほどまでに音楽制作の生産性が上がったことはありません。実のところ、DAWを使いながらインスピレーションを得るのに苦労していたので、すべての機能が1つのボックスに搭載され、すぐにでも使えるのは非常に有難かったです。

私は「ライブ演奏をする」という自分の夢をようやく叶えたことに誇りを持っています。MC-707を中心に、TR-8Sと数台のTB-03でセットを構成しています。MX-1が全体を引き締め、サウンドに磨きをかけています。まだまだ趣味の域ですが、予想以上の手ごたえを感じているので、これからも前進し続け、最終的にどこにたどり着くのかを見極めたいと思っています。

Richard Jackson: Roland以外はありえない

それは1985年のこと。ギターの教則本を使ってキーボードを弾き始めたばかりの私は、ローランドが主催するコンテストを知りました。さっそく家にあったカセットデッキ2台とキーボードで曲を作り提出しました。  

もちろん入賞は逃してしまいましたが、その時もらったペンは今でも持っています。それ以来、Rolandの名前とカルチャーが頭から離れず、グループに加入して初めてシンセサイザーを買うことになった時、RolandのJUNO-6以外は考えらなかったのです。

JUNO-6は期待に違わず素晴らしいサウンドでした。しかし私にとって「厳しい試練」にもなりました。1時間分の曲を覚えなければならないだけでなく、サウンドのプログラミングも習得しなければならず、さらに、ギタリストがアンプのセッティングを変えるまでのわずかな時間に、それぞれの音を素早く作らなければならなかったのです。そこでD-50が発売されたとき、すぐ買い換えたのは言うまでもありません。 

こうして私とシンセサイザーの歴史が始まりました。これまでにシンセサイザー10台とピアノ1台を手に入れましたが、いずれもローランド製です。大ヒット曲を生み出すには至りませんでしたが、1000回近くの小さなライブをこなし、毎回Rolandのシンセサイザー1~2台が一緒でした。現在は趣味で演奏をしていますが、今でもRolandは私の相棒です。  

David Gordon: 時間を超えた逸品

近所のチャリティーショップで茶色のダンボール箱を見かけ、中を覗いたところ、隙間からRolandの文字が見えました。シンセサイザーにしては小さすぎると思いながら、箱を開けてみたところ、とても良い状態のPMA-5が出てきたではありませんか! 私はパソコンを使わずに作曲するのが好きで、しかも自分の手書きは読めたものではないのです。だから箱の中身を見た瞬間大喜び。PMA-5なら持ち運びもできるし、複雑な曲も簡単に作れます。それにMIDIとGM(General MIDI)サウンドセットも搭載されているのです。

それ以来、サウスダウンズ国立公園やビーチに出かけるときは、いつもPMA-5をポケットやショルダーバッグに入れて出かけています。作曲した曲は後でシンセサイザーやDAWに取り込みますが、ノートパソコンがなくても素早く簡単に作業できます。GMのサウンドセットを使えばサウンド全体のイメージをつかむことができますし、小型のMIDIキーボードやタッチスクリーンを使って、各パートをあっという間に楽々と入力することもできます。

はい、確かに買ったときから古めかしい様子はありましたが、きちんと仕事をしてくれるしまだまだ現役です。実際何度もバッテリーを買い替え、それだけで本体価格の何倍もの金額になりますが、それでも信頼性は抜群。昨今のいくつかの作曲用ツールよりも優れています。私のPMA-5は、ほぼ完璧な1台だと言っていいでしょう。

Steven Burgess: 人里離れて

私は58歳で、ドラム歴は40年以上です。初めてRolandのリズムマシンTR-626を手にして以来、長年かけて多くのRoland製品を所有してきました。 

今でも変わらずドラムを演奏していますし、パーカッションもレパートリーに加えました。最初はカホンを自作しましたが、そのうちどちらも演奏できるものを探し始めました。そこで行きついたのが、HandSonic HPD-20です。パーカッションのサウンドが豊富で、なんとドラムキットまであるという優れものでした。  

私は人里離れた15坪ほどの小さな家で暮らしていますが、HandSonicならほとんど場所を取らないので問題なく設置できて、私にぴったりです。Rolandはこのような楽器を作る唯一の会社で、ライブでも練習でも大変助けられています。  

サウンドはナチュラルそのもので、まさに私のバンドが求めている音です。私たちはさまざまなスタイルの音楽を演奏するので、HandSonicはもってこいです。私は妻ともデュオで活動しており、ドラムとパーカッションができるだけでなく、ループやメロディーをトリガーできるHandSonicは頼れる相棒です。  

Roland、いつもありがとう。これからもイノベーションを期待しています。 

Rod Wesson: 尽きないシンセサイザー収集熱

私は1972年に生まれました。その数か月後にローランドが設立されたという特別な年です。私が音楽に目覚め始めたのは、シンセサイザーが音楽シーンを大きく変えつつある頃でした。その外観も新しいサウンドもとてつもなく魅力的で、その頃はこんな楽器が欲しいなあと夢見ることしかできませんでした。  

当時シンセサイザーといえば、木の板にツマミがついた一枚岩のようなものが主流でした。そんな時、Howard Jonesのレコード『New Song』のジャケット写真を飾ったのがJUPITER-8でした。ヒートシンクが特徴的で、中央部にプラスチックのカバーがあり、その周りにはカラフルなボタン。そして、背面には大きくRolandのロゴが配されていました。公営住宅に住む若造だった私には、到底買えるはずもなかったシンセサイザーの最高峰です。  

1990年、80ポンドでシンセサイザーを売ってくれる人がいる、と友人から聞きました。もちろん私は会いに行き、Rolandのロゴがついた小さなグレーのシンセサイザーを見せてもらいました。デモをお願いしたのですが、なぜか相手は乗り気にならず、私に試し弾きをさせてくれるだけでした。これはRolandを手に入れるチャンスだと思い、代金を払い、とうとう憧れの本格的なシンセサイザー、SH-101を手に入れたのです。 

その数年後、地元紙でJUNO-106が売りに出ているのを見つけました。急いで電話をかけ、それは私のものになりました。翌年には、楽器屋で相当年季の入ったJX-8Pを見つけます。そして、就職した私は初めて新品のJP-8080を手に入れました。 

そこからは止まりませんでした。今では、Rolandのシンセサイザーを19台、ターンテーブルTT-99、フィールドオーディオレコーダーR-26、アパレル含め、数え切れないほどのRoland製品を持っています。 

なぜ、これほど夢中になるのでしょう。私はこのサウンドに浸っている感覚が好きなのです。この気持ちは、昔デートの待ち合わせで彼女(今の妻)を待っているときの胸がキュンとするような感覚と同じです。気の向くままに思い立ったら演奏し、ヘッドフォンを装着すればもう至福の時間です。 

私とローランドは同い年で、特別な縁を感じます。ありとあらゆるRolandのシンセサイザーが、そのルックスとサウンドのパワーで私に呼びかけ続けています。Rolandのおかげで素晴らしい曲作りができます。本当にありがとう。これからの50年も楽しみです。 

Steve Winter: 音楽と冒険の人生

私は人生をバンド演奏に費やしてきました。過去25年以上、カバー演奏がメインでしたが、私がこれだけの曲を演奏できたのはFANTOMのおかげであり、私が絶大な信頼を置いている1台です。レイヤーやスプリットを駆使すると、まるでオーケストラを指先で操っているような感覚になります。

金管楽器のアンサンブルも、サックスのソロも、ハモンドの音を際立たせることも、Rolandならどんな音でも叶います。私の次の冒険がどんなものであれ、そこには間違いなくFANTOMがあるでしょう。 

Stephan Köhr: ファゴットの限界を超えて

私が初めてRolandのシンセサイザーを手に入れたのは1979年。SPV-355というラック式シンセサイザーでした。当時ファゴット奏者をめざして勉強中だった私は、プログレッシブ・ロックやフュージョンのバンドでキーボードや木管楽器を演奏していました。演奏する際は、ファゴットのリードにコンタクトマイクを付けていました。あまり信頼できる代物ではありませんでしたが、ほぼそれで問題ありませんでした。ギターのエフェクターもいくつか持っていました。

ピックアップとマイクを入力できるピッチフォローイング・シンセサイザーがRolandから発売されたと聞いたときは、車で2時間半かけて品揃えの豊富な楽器店へ出向き、SPV-355を試し弾きしました。本当は私の持っているファゴットのような楽器向きではないようでしたが、ピッチ・電圧コンバーターの機能と素晴らしい音に魅了されて購入しました。

私はこのSPV-355を使って多くのライブをしました。通常ファゴットは、ギターやキーボードに音で対抗することはできないので、これはとても楽しい経験でした。80年代半ばには、バンドの曲のデモもSPV-355で録音しました。

1981年、私はTR-606とTB-303という2台の名器を手に入れました。自分のスタジオでこの自立したリズム・セクションを持てることに感動しました。この2台があれば、変拍子と転拍子の入った、長くて複雑な曲もプログラムすることができたのです。また、「より脂がのった」音が欲しいときには、TB-303でファゴットを鳴らすこともありました。  

1982年、私は大学が休みになるとアルバイトに精を出し、ようやくポリフォニックシンセサイザーを買えるお金が貯まりました。そこで、ドイツに初めて入荷されたJUNO-6を手に入れたのです。ライブ時代はパッチを手動で変更していたので、付箋紙をベタベタ貼っていましたが、JUNOはプログラミングが簡単なので、そんなことをしなくてもほとんどが頭に入りました。

1984年、フランクフルトにあった大型楽器店が店じまいした際、私は管理団体からAxisポータブルキーボード、Planet S MKS-30、MKS-80 Super Jupiterラックモジュールなどを購入しました。そのおかげでかなり奥行きのあるサウンドを出せるようになりました。MKS-80は今でも愛用している大切な1台です。

それ以来、私はRolandの機材を数多く所有し、演奏してきました。最近購入したのはJUPITER-XmとAerophone Pro AE-30です。私のようなRoland一筋のユーザーたちにとって、どんな未来が待っているのかと思うと楽しみです。

写真はエレクトリックファゴットを吹いている頃の自分です。左上にあるキーボードスタンドにはSPV-355が、私の右側にはJUNO-6が写っています。

Marco Costardi: 複雑なサウンドづくりをめざして

1988年、初めてRolandのキーボードD-50を購入し、自分のパーソナルスタジオに繋いだときからRolandと私の冒険は始まりました。それ以来、Rolandのキーボードやエキスパンダーを次々と追加してきました。確かにそれらのプログラミングは難しいのですが、そもそも楽しむことが目的です。傑作は、決して簡単には生まれないのです。  

今やRolandの機材リストは、A-80、D-550、Fantom-S、JD-800、JP-8000、P-330、U-20、V-SynthそしてBOSS DR-670と長くなる一方です。  

時には曲作りの計画から始める日もありますが、いつの間にかサウンド作り自体が楽しくなってしまいます。まず楽器でサウンドを作り、それを別の楽器のサウンドとミックスすると新たなサウンドが生まれます。そうして出来たサウンドをサンプリングして、さらに複雑で他にはないサウンドを作り出すのです。私がRolandを愛用している理由は、音に温かみがありながらパワフルで、あらゆる音楽スタイルに対応できるからです。なかでもニューエイジのシンセティック・サウンドが一番のお気に入りです。 

左のテーブルに載っているのは、A-80, D-550, P-330, DR-670。左のスタンドには、JD-800, D-50、中央のスタンドには、V-Synth, Fantom-S。 右のスタンドにはJP-8000です。 

Hidemi Yamamoto: サンプラーが繋いだ運命

1980年代半ばにサンプラーが華々しく音楽シーンに登場し、「アート・オブ・ノイズみたいなサンプリングミュージックを作りたい!」と思った当時大学生の私は、バイトして貯めたお金でRoland S-50を買いました。

その頃住んでいたアパートの部屋の写真がこちらです。S-50のディスプレイをテレビに出力して映しています。当時の小型テレビにはビデオ入力端子がなかったので、一度ビデオデッキに通してからテレビのアンテナ端子に入力していました。

S-50には5枚のフロッピーディスクライブラリが付属していましたが5枚目のディスクRSB-EのSEが最高で、気に入った勢いで一曲作ってしまいました。 のちにその曲を聴かせて「カッコいい!」と褒めてくれた女の子とバンドを組み、自主制作CDを作り、そして結婚することになります。数年前に銀婚式を迎えました。S-50がなかったら、私は違った人生を歩んでいたかもしれません。

その後は機材を売ったり買ったり、音楽の趣味からも離れたり戻ったりしながら30年以上が経ちましたが、今でもS-50やSシリーズの音は懐かしく思い出します。Roland Cloudで付属ディスクや当時のライブラリーも含めてソフト音源化して欲しいと思います。そのときはぜひ、S-50付属ライブラリー RSB-E のパッチ “P1 Medley”も収録してください。

Rich-Marv Ellis: 電子パーカッションとの出会い

2000年、私は南アフリカからバンドとダンスグループを引き連れ、アメリカツアーを行いました。ツアーバスで移動中、アラバマの小さな町に立ち寄った私たちは、楽器店を見つけ店内を見て回りました。

すると、仲間のパーカッション奏者が興奮した様子で私を呼びました。ちょうど販売員が電子パーカッションの実演を始めるところでした。そこで初めて目にした電子パーカッション、それがRolandのHandSonic HPD-15だったのです。

その後、2005年になってようやく私は自分専用のHandSonicを購入することができました。今でも現役でライブやショーで大活躍しています。

私には自慢のローランド製品がもう1つあります。EC-10M ELCajon Mic Processorです。革新性と先見性に富み、新しいサウンドを開拓し続けてきたローランドに心から感謝します。

Ben Fuentes: サウンドトラック・オブ・マイライフ!

1983年 – クラシックピアノを習い始めて5年、当時私は12歳で、Duran DuranとJourneyが席巻していたMTVを夢中で見ていました。私はキーボード奏者の端くれとして、彼らの曲や映像、特にNick RhodesとJonathan Cainの演奏・サウンドに心を鷲づかみされました。そして、画面に大きく映るローランドのロゴを見て「僕の出したい音はこれだ!」と確信しました。さすがにJUPITER-8は高嶺の花でしたが、中学の卒業記念に両親がプレゼントしてくれたEP-11で、友達と一緒にVan Halenの『Jump』を弾きました!これが約40年にわたるローランドとの付き合いの始まりです。

1988~89年 – 高校時代に「Closed Mondays」というバンドを結成し、学校のダンスパーティーや地域のイベントで演奏しました。また、アルバイト代を貯めて、JUNO 2、TR-505、R-8、D-50を買いました(ちなみにR-8とD-50は今でも持っています)。自分でサウンドやビートを打ち込み、MIDIやシーケンサーにも挑戦しました。音楽制作を仕事にすることは叶いませんでしたが、とにかく楽しかった思い出です!

 

2010年から現在 – その後、音楽活動を一旦休止した時期もありましたが、現在はニューヨーク州、ニュージャージー州、コネチカット州周辺でカバーバンドとして活動しています。ライブではJUNO-STAGE、FA-06、AX-Edgeなど、すべての機材をローランドで揃えています。自宅のスタジオにはTD-15KVX、HD-1、JV-90、KC-150、KC-350(2台)、D-50を所有しています。

これまでの長きにわたり、ローランドは常に私の期待に応えてくれました。ステージでの見栄えもよく、何より好みのサウンドを自在に出せるし、音が素晴らしいんです!
子供たちには私と同じように音楽の楽しさに目覚め、ローランドの楽器の使い手として演奏する楽しさを受け継いでいってほしいと願っています。

私の音楽キャリアと人生のサウンドトラックに多大な影響を与えてくれたローランドに心から感謝します!

Eamon Standing: 小さな808 ~最高のクリスマスプレゼント~

2017年。私はローランドのプロダクトスペシャリストになったばかりで、まだ夢の中にいるようでした。  

というのもその少し前に、初めて組んだバンドのベーシストから「ローランドでいくつか求人募集がある」というメッセージが届いたのです。以前から大手の楽器メーカーで働きたかった私は、すぐさま応募書類を書きました。そしてついにローランドで働くチャンスが来たのです! 

バンドのメンバーは全員ローランドの機材を愛用していました。最初のレコーディングはEDIROLのインターフェイスを使いましたし、双子の弟 のペダルボードは不滅のBOSSだらけでした。私たちにとって、ローランドはヒーローだったのです。 

やがて、年月が経ち、弟の関心は電子音楽へと広がっていきました。TR-808のサウンド、特にあのバスドラムの重低音がお気に入りで、作品にも808のサンプル音源をたくさん使っていました。  

私が入社して最初に発売された製品はTR-808の復刻版である TR-08です。その存在を初めて知った時、私は居ても立っても居られなくなりました。なぜならすでにJP-08を持っていたのですが(オレンジのライトが魅力的すぎて、買わずにはいられませんでした)、このTR-08は弟にぴったりな製品だと思ったからです。ですが内情を知っていた私は、弟に8月8日の808Dayまでこのことを話せないのが辛くて仕方ありませんでした。 

ついに808 Day当日、Roland Boutiqueの新作が発表され、それを知った弟は大喜び。私も早速、実際にTR-08を弾き、機能を学び、お客様と語り合いました。そしてなんと、来店したDavid Åhlundが、私たちの動画に参加してくれたのです。あんな有名人が・・・信じられません! 

私には、弟にとってクリスマスにTR-08の箱を開けることが最高のプレゼントになることはわかっていました。弟に気づかれないよう、食器棚に隠している間は相当辛かったですが、あの時の弟の喜びようを見たら耐えた甲斐はありました。今後これに勝るクリスマスプレゼントを思いつく自信がありません。  

その後、弟は今日に至るまで、彼の机の定位置にあるそのTR-08 を駆使してアンビエント・ミュージックを制作しています。ちなみに私の机には、eBayで見つけたTR-606が置かれていますが、これについても話せば長くなるでしょう。このように、ローランド創立50周年の裏には、皆さんに共有したいエピソードが数えきれないほどあるのです。 

Harry Spaeth: 生涯変わらぬアコーディオンへの愛

私が趣味でアコーディオンを弾き始めたのは、11歳の時です。それ以降、90歳を迎えた現在まで弾き続けています。初めてのアコーディオンは非常に古いものでした。これまで6台を弾いてきましたが、恐らく、ローランドFR-3xが私にとって最後のアコーディオンとなるでしょう。エンターテイメント性に富み、多彩な機能が詰まった1台です。

高齢のため軽量なアコーディオンを探していた私は、2009年にFR-3xを購入しました。多くの可能性を秘めたこの楽器は、弾きこなすのも容易でした。アルパイン・アコーディオンの音や、オーケストラ、オルガンの音など、ユーザーが設定できる上限まで音を追加しました。10種類のユーザープログラムを駆使すれば、音色の幅はさらに広がります。  

バッテリー駆動のためAC/DCコードは不要です。広いスペースで演奏できるようにパワードスピーカーとスタンドを利用しています。

特に、国歌や『トランペット・ヴォランタリー』、『ヘ調のメロディー』などの礼拝曲では金管楽器の音がお気に入りです。『愛の夢』は弦楽四重奏の音で、『天使の糧』と『ハレルヤコーラス 』はオルガンの音で、『ダニー・ボーイ』、『虹を追って』、『虹の彼方に』はアルパイン・アコーディオンで弾いています。

65歳の妻から頼まれて毎晩30分ほどのコンサートを開くようになって、もう1年以上になります。暗譜しているレパートリーからアルファベット順に弾きますが、ゴスペル・讃美歌とクラシックポップスを交互に演奏します。妻は演奏を聴いて曲名を書き、一緒に答え合わせをします(妻は特にラブソングが好きなようです)。

90歳になって、あらためてアコーディオンは本当に心を満たしてくれる趣味だと実感しています。

Hector Lopez: 魔法のペダル

米国ミネソタ州在住のEl-magicoです。私のギター演奏や、音楽制作において、ローランド製品がいかに大きな影響を与えたかをお伝えしたいと思います。  

1978年頃、私は大都会のメキシコシティから約100マイル離れたプエブラという街に住む若いギタリストでした。休みの日にはバスに乗って街に繰り出し、楽器屋をはしごして入荷したばかりのギターを見て回るのが夢でした。  

初めて手にしたペダルは、ローランドのAS-1 Sustainerです。その頑丈さは、私の演奏スタイルを大きく変えました。翌年には、貯金をはたいてBOSSのBF-1を手に入れました。これは素晴らしい性能が備わったペダルで、演奏に新たな色彩が加わりました。  

その後、私はBOSSのDM-1というこれまた素晴らしいペダルを購入します。シンセサイザーとディレイがついていて、ギターでつないで演奏することができました。こうしたペダルのおかげで、自分のプロジェクトでさまざまなサウンドを試すことができ、これまでと違うクリエイティブな音作りを追求することができました。

それから40年以上が経ち、現在私は米国に住んでいます。今でもローランドとボス製品の大ファンで、スタジオ機材の6割以上は両ブランドが占めています。私たちミュージシャンやアーティストに、音楽制作の原動力をもたらし続けてくれるローランドとボスに感謝しています。 

Jeff Haynes: JUNOに思い焦がれて

まず、心からお詫びしたい人がいます。オハイオ州ミドルタウンにあるタウンモールの楽器店でいつも働いていた店員さん。1980年代初頭、実に足しげく100回以上は店に通い詰めていた私に対して、絶対にイライラしていたと思います。  

10代の私には、楽器を買うお金がないことを恥じるよりも、店にある最新のシンセサイザーをこの目で見て、聴いて、触ってみたいという気持ちの方が勝っていました。店には大手ブランドの製品が一通り並んでいましたが、ローランドの楽器は際立っていました。特にJUNOシリーズは別格です。JUNO-60やJUNO-106のサウンドと可能性に夢中になりました。もちろん、PG-300のコントローラーを装備した後年のJUNO 1やJUNO 2も同様です。 

残念ながら、家の手伝いで貯めた小遣いでは楽器代にはならず、家族でタウンモールに行った際に、展示されているJUNOを数分弾くことで満足するしかありませんでした。

それから数年後、遠く離れた地で幸運が巡ってきました。昔の習慣で楽器店巡りをしていたところ、中古のJUNO-60に遭遇したのです。どうやら入荷したばかりのようでした。私は即座に購入を決心し、待望のJUNOをその手にとりました。その瞬間、私が抱いていたJUNOへの愛と尊敬の念が、音楽業界共通のものだったのだと気づかされる出来事が起こりました。

というのも、店内にいた見知らぬ人からいきなりバンドに誘われたのです。大切なJUNO-60を腕に抱え、いよいよ購入しようと覚悟を決めたその瞬間、仕事の依頼が舞い込んできました。愛想のよいこの男性の言い分は単純明快でした。つまりJUNO-60の価値を知っているキーボード奏者なら、バンドに誘う価値がある、という訳です! 

結局、彼のバンドに参加することはありませんでしたが、多くのバンドと素晴らしいステージを共にしました。現在、JUNO-60は私のSYSTEM-8の中で生き続けており、ライブやレコーディングには欠かせない存在です。  

JUNO-60から始まったローランドのコレクションは、今ではSYSTEM-8、FA-06、MX-1、MC-707、TB-03のセットアップへと発展し続けています。  

Susan Bewick: 私を虜にしたキーボード

私はジャンルを問わないシンガーソングライター、作詞家、作曲家です。1976年から1982年まで、メドウェイ音楽院に併設されているギルドホール音楽演劇学校に通いました。 

さまざまなメーカーの楽器で作曲してきましたが、初めてローランドのキーボードを購入したのは1992年。その瞬間からローランドのキーボードの虜になりました。ローランドのキーボードには、私が求めるすべてがあったのです。多種多様な楽器の音を出すことができ、まるで部屋の中にフルオーケストラがあるかのようでした。 

一時期はイギリスで小規模なライブを開いていましたが、2001年にフランスに移住してからは、現地のグループ「Omasphere」や在仏外国人で結成された「Nostalgie」で演奏しています。何度かソロライブも経験しました。 

ところが2016年、自宅が大火災に見舞われ、パートナーと私はすべてを失いました。そこから再出発するために新しい家を購入し、一室をレコーディングスタジオに改造しました。そして、ローランドのFA-06 Work Stationを購入しました。これは素晴らしいとしか言いようがなく、史上最高の楽器です! 

FA-06はスタジオの中でも特に自慢の一品で、毎日のようにこのワークステーションを駆使して創作活動を行っています。ローランドは私の一押しのブランドです。創立50周年、心よりおめでとうございます。今後も期待しています。音楽は私の情熱そのものであり、最初に選ぶブランドはローランドと決めています。

Gerd Wölfle: インスピレーションとモチベーション

ローランドは、私の音楽人生に大きな影響を与えてくれました。ローランドとの出会いは、80年代初頭にフランクフルトで開催された楽器ショー「Musikmesse」です。JUPITERやJUNOシリーズなどを目にして、私は電子楽器の可能性を感じました。後に近所の楽器店でJX-3Pを見つけたのですが、その時は残念ながら予算オーバーでした。

ようやくローランドを購入できたのは、80年代終盤になってからです。限りなく自然なサウンドを追い求めていた私は、ローランドのPCMサンプリング技術に出会い、「これだ!」と思いました。そしてU-110、U-220、MV-30、Rhodes 660を使って、多くの音楽を作りました。また21世紀に入って最初の10年間で、私のローランドコレクションはどんどん増えていきました。ローランドの電子ピアノを持っていましたが、さらにE-60やBK-7mなどのアレンジャーをスタジオに導入しました。そしてついにINTEGRA-7に搭載されたSuperNATURALテクノロジーをもって、私が本当に求めていた最高の音質へ到達することができたのです。  

ローランドと出会っていなかったら、私の人生はどうなっていたのでしょう。今も音楽を作っていたでしょうか。ローランドと共に音楽の道のりを歩み、電子楽器の優れた可能性を追求できたことに、心から感謝しています。私の音楽人生に多くのインスピレーションとモチベーションを与えてくれて、どうもありがとう。今後のイノベーションにも期待しています。 

私の作品には、長年収集してきたローランド製品の音が詰め込まれています。今後の人生も共に歩めると思うと、大変幸せです。

Nicholas Varley: かけがえのないJX-3P

私はDepeche ModeがステージでJUPITERやJUNOを演奏しているのを見て、ローランドのシンセサイザーが欲しくてたまらなくなってしまいました。そして初めて手に入れたシンセサイザーは、1984年にマンチェスターで購入した新品のJX-3Pです。恐らく、他のすべての楽器を売り払うことになったとしても、この1台だけは残るでしょう。

90年代、怒った親戚に寝室の窓から投げ落とされたこともありましたが、きちんと修理をして今でも素晴らしい音が出ます。求められる音質まで数秒で到達できますし、どんなミックスでもうまくこなせます。

このシンセサイザーは、往年のヒット作『パワーレンジャー』から大人気のアニメシリーズ『Molang(モラン)』まで、私が作曲に携わったほとんどのテレビ番組で使用されています。.

ロンドン、ヨハネスブルグ、マラケシュへの出張にも携行し、現在はフランスのフォンテーヌブローにある自宅の音楽室に大切に置いています。

長年にわたりローランド製品のファンだった私は、新作のJUNO-Xを手にするのを楽しみにしています。これまでJX-10、Alpha JUNO-1、D-110、TR-505を所有してきましたが、最後に手元に残しておきたいのは、なんといってもJX-3Pです。  

ローランド創立50周年、おめでとうございます!